
地理院地図 国土交通省国土地理院
地理院地図(電子国土web)というサイトですが、
いろんな地図データがみれるようで、
今回、私が気になったのが「古い航空写真」と「明治前期の低湿地」。
ちょっと覗いてみましょう。
1.古い航空写真 東京・汐留駅周辺と京都・三条京阪
東京・汐留駅周辺
1974年〜1978年の写真を選ぶとこんな感じ↓

地理院地図 国土交通省国土地理院
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京都在住なので京都でないと詳しくないのですが、
京都ばかり載せるのもどうかと思って東京の地図も載せようと。
そこで、東京駅周辺を見ていたら、昔っぽい国鉄の貨物の駅なんですよね。
そもそもは新橋駅(初代)だったそうで、東京のターミナル駅だったそうですが、
1914年に旅客ターミナル駅は新設の東京駅へと移り、
この駅は貨物駅として再利用されたとか。
それも、東京貨物ターミナル駅開業などで1986年に廃止されたよう。
(参照)汐留駅 (国鉄) - Wikipedia
その晩年の姿だったんですね。
今(2007年以降の空中写真)はというと↓

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ビル街になっているようです。
京都・三条京阪
私にとって懐かしいのはこちら。
昔の京阪電車は地下じゃなくて鴨川沿いを走ってたんですよね。
なので、四条通とかは踏切でした。
そんな時代1974年〜1978年の三条京阪が↓

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地上駅ですよ。しかも、鴨川の東側には疏水?が。
以前、書いた記事、
京都河原町駅に変更予定だった阪急。河原町駅のままでいくそうです。
には、
昔の四条京阪の踏切の写真を引用させて頂いてましたね↓

京阪 四条交差点(踏切)S56頃 / h-tori 祇園四条駅 - Wikipediaより
その記事に書いていますが、
地下を走るようになったのは、1987年(昭和62年)だったそうです。
ウィキペディアをよく読むと、昭和57年、地下化工事に伴い、
淀屋橋行きホームを四条通り北側から南側へ移設。
「四条通り踏切」に遮断機を設置 …とありました。
…だったようです。
今(2007年以降の航空写真)の姿はというと↓

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2.明治前期の低湿地 東京駅周辺と京都巨椋池
東京駅周辺の明治前期の低湿地

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先も書きましたが、東京は詳しくないので間違ってたらすみません。
先の汐留駅はこの明治前期の低湿地では、
海になっているちょっと上のグリーン色のところのようです。
新橋駅と書かれたあたりのちょっと下あたり。
確かに海との境目なので、
汐留という名前になったのかなと思ったりでいますよね。
明治前期の低湿地 京都・巨椋池

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巨椋池については以前書きましたね。
琵琶湖逆水灌漑と巨椋池排水機場
巨椋池(おぐらいけ)は、
京都府の南部、現在の京都市伏見区・宇治市・久御山町にまたがる
場所にかつて存在した池。
干拓前の巨椋池は東西4キロメートル、南北3キロメートル、
周囲約16キロメートル、水域面積約8平方キロメートル(約800ヘクタール)、
平均水深は90センチメートルだった。
当時京都府で最大の面積を持つ淡水湖だったそうです。
(参照)巨椋池 - Wikipedia
こんなやって、地図を見てると、
あちこち気になって見続けてしまいますよね(笑)。