2014年07月20日

戦後直後の京都1 1945年〜1946年当時の北野天満宮界隈の地図


2009年11月21日撮影 北野天満宮さん

大正時代生まれの方は昭和初期生まれの方はご存知だと思うのですが、
今の北野天満宮さんとは大きく異なるんですよね。

1.市電が北野天満宮さんの境内にまで走っていた。
2.京福電鉄の北野線の終着駅が北野天満宮だった。
…なんて昭和初期生まれの母に聞いたことがあったのですが、
 正直、信用してませんでした(笑)。

こちらが現在の地図↓

グーグルマップより
※クリックして頂くと拡大した画像が開きます

この千本中立売(せんぼんなかだちうり)から西へ、
北野天満宮さんに斜めに通っている道に市電が走っていたそうです。

また、京福電鉄北野線の終着駅は
西大路通(にしおおじどおり)の北野白梅町(きたのはくばいちょう)
じゃなくて、
北野天満宮さんの南あたりに駅があったとか。

要するに北野さんぎりぎりに駅があってお参りがしやすかったそうです。

でも、本当なのか気になってました。

たまたま、いろいろ調べているととある地図に辿り着いたんです。
それは敗戦直後の米軍地図。

U.S. Army Map Service, 1945-1946 Japan City Plans 1:12,500 Kyoto North京都市北部
※クリックして頂くと拡大した画像が開きます

U.S. Army Map Service, 1945-1946 Japan City Plans 1:12,500 UT Library Online
には、akashi(明石)、akita(秋田)、aomori(青森)から
アルファベット順に始まって、
yokosuka(横須賀)、yonago(米子)、zentsuji(善通寺)の地図までありました。

1945年〜1946年の米軍地図なので英語なんですが、
お住まいの地域の昭和20年、21年時代の地図がわかりますよ。


で、この地図で北野天満宮さんを見てみると↓
※日本語を書き足しています

U.S. Army Map Service, 1945-1946 Japan City Plans 1:12,500 Kyoto North
※クリックして頂くと拡大した画像が開きます

見比べると面白いですね。
それにしてもこの頃は、市電が縦横無尽に走っていたみたいです。
先の京都市北部の地図を拡大して見て頂くと、
びっくりするくらい、主要な幹線道路に線路の地図記号が。

さらに堀川今出川(ほりかわいまでがわ)付近を見ると、
小川が本当に地図に載ってる。
琵琶湖疏水の疏水分線(南禅寺から哲学の道、北白川と北上し、西へ進む)
の終着場所になる?紫明通り(しめいどおり)から小川へ、
寺の内を通って小川通り沿いを南北に下って一条通で西へ進み堀川と合流。
そんな姿がこの地図で分かります。


ひとつ気になったのが、この地図、
堀川通りが思ったほど広くなっていないのと、五条通が狭いこと。

確かどちらも戦時中に建物疎開が行われて広くなっていたはず…
と思って自分の記事を読むと
千本五条から西大路五条間の五条通り拡張工事と悪王子?
五条通は、
東大路通から千本通までの区間は御池通や堀川通同様、
第二次世界大戦末期に防火帯形成のため建物疎開が行われ、
戦後、その用地を利用して幅員約50mに道路が整備されたそうです。
…ということで、この1945年〜1946年ではまだだったのかも。


話を元に戻してと。

今、京都観光や修学旅行でたくさんの方々が京都に来られていますし、
北野天満宮もそんな観光コースになっているかもしれませんが、
この昭和20年の地図を見てると、
北野天満宮までは市電、その後、京福電鉄の北野駅から仁和寺さんや嵐山へと、
便利に行けそうですよね。
今は、北野白梅町駅まで歩くか、市バスに乗らないとだめですが、
昔の方が北野天満宮から嵐山へは行きやすかったんですよね。

それも、電車旅で。

今、京都観光と言えば、
市バスの1日乗車券(500円)であちこち行けて便利ですが、
市電や京福電鉄(嵐電)に揺られての京都旅も相当楽しそうですよね。

昔は娯楽が今よりは少なかったと思いますが、
観光、特に京都観光では、昔の方がより風情があったかもしれませんね。

この地図を見てると、そんな想像が膨らんだり。


また、そのうち、この地図で記事を書いてるかもしれませんね。
それにしても見だすと止まらない地図です(笑)。
タグ:地図 京都
posted by ポジタリアン イエロー at 12:04| ブログ
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