2014年07月26日

昔の京都1 京都瓦斯に京都競馬場、トロリーバス

古い地図を見だすと、止まらないんですよね(笑)。

戦後直後の京都1 1945年〜1946年当時の北野天満宮界隈の地図
などでご紹介した京都の地図、
U.S. Army Map Service, 1945-1946 Japan City Plans 1:12,500 UT Library Onlineより、
1945年〜1946年の米軍地図・北部と南部

U.S. Army Map Service, 1945-1946 Japan City Plans 1:12,500 UT Library Online
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U.S. Army Map Service, 1945-1946 Japan City Plans 1:12,500 UT Library Online
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1914年(大正3年)の京都の地図

Asia Historical Maps - Perry-Castañeda Map Collection - UT Library Online
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この3つの地図から今回も気になったところを載せてみようと。


1.京都瓦斯(ガス)!?
1945年〜1946年の米軍地図を見ていてみつけたのがガスカンパニーの文字。
場所は、大阪ガスがある?もしくはあった??
下京区粟田町や中堂寺南町周辺…ではないんです。


U.S. Army Map Service, 1945-1946 Japan City Plans 1:12,500 UT Library Online
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町名はわからないんですが、
昭和20年ごろは旧丹波口駅の東側にガスカンパニーがあったようです。
現在は、五条七本松南西ですよね↓


グーグルマップ
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京都リサーチパーク - Wikipediaによると、
もともと大阪ガスではなく、京都瓦斯というガス会社だったとか。

ただ、
1928年 京都瓦斯(のちに大阪ガスに合併)の工場が五条七本松に建設
…とあり、1928年には丹波口駅の西側に建設されていたようです。
 ということで、丹波口駅の東側にある1945年の地図と合わないんですが。。


2.大正時代、五条七本松周辺は…京都競馬場!?
では、大正時代の地図を見れば…と思ってみると…

1914年(大正3年)の京都の地図 上が東になっています

Asia Historical Maps - Perry-Castañeda Map Collection - UT Library Online
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現在の五条七本松南西はこのとき、京都競馬場と表示が。
丹波口駅の西側に京都競馬場があったんですねぇ。

というか、京都競馬場跡地が大阪ガスになったんでしょうか?
京都競馬場 - Wikipediaを見ても、
淀競馬場しか載っていないので謎は深まるばかりです。
※淀競馬場は1925年(大正14年)開場とのこと。

さらに大阪ガスと丹波口駅の間と言えば、京都市中央卸売市場ですよね。
京都市中央卸売市場第一市場 - Wikipediaを見ると、
1925年(大正14年)6月2日に開設許可を得て
1927年(昭和2年)12月11日に
全国に先駆け日本で最初の中央市場として開設された。
…とありました。

なので、この時代、
京都競馬場跡地をガス会社や中央卸売市場へと
大正14年あたりは、丹波口の西側は開発ラッシュ!?だったのかもしれませんね。


3.四条大宮より西はトロリーバスだったのはなぜ?
この前、
戦後直後の京都3 地図で見る1945年〜1946年当時の京都市電
という記事で、西院と四条大宮との間を市電のように紹介しちゃいましたが、
母が「そこはトロリーバス」って言ってました。

そこで調べると、確かに市電じゃなくトロリーバスだったんですね。
下の地図で四条通の線路はトロリーバスでした。

U.S. Army Map Service, 1945-1946 Japan City Plans 1:12,500 UT Library Online
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でも、なぜ市電だらけの京都で、ここはトロリーバスだったんでしょう?

京都市営トロリーバス - Wikipediaによると、
京都市では、四条通上の四条大宮以東に市電(四条線)を開業させたが、
以西については国鉄山陰本線と軌道線との平面交差を嫌う国鉄の方針から、
四条通上の踏切を通る市電の敷設は許可が下りず、延伸が止まっていた。

七条線においては、
市電の線路を地下に掘り下げる形で山陰本線と立体交差にする手段をとった。
…だそうです。

そうなんですよね。
京都市電の七条通りは山陰本線の下をくぐってたんですよね。
※私が知っている時代では、すでに山陰本線も高架になっていて、
 高架の下をさらに潜っていく市電が子供心に不思議だったような気がします。

国鉄は平面交差を嫌ってたんですね。そこで、トロリーバスという作戦に。

そういえば、嵐電も、四条千本を下がるところでは、
千本通りと立体交差しています。
なので、山陰本線の上を嵐電が走っていたんでしょうね。

地図を見ていると、
何気なく知っている場所でも、
なぜ、そうなったかがわかるのが面白いですよね。
タグ:地図 京都
posted by ポジタリアン イエロー at 11:16| ブログ
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