2014年04月10日

昔の神泉苑さんの「大きさ」と「55年ぶりの池の水抜き」と


2010年4月6日 神泉苑さん / 私撮影

神泉苑(しんせんえん)さんってご存知ですか?

京都の二条城南側にある東寺真言宗の寺院だそうです。
(参照)神泉苑 - Wikipedia

実は、今の今まで寺院とは知らなかったんですが(笑)、
※それはなぜかというと、上の画像ではちょっと欠けていますが、
 鳥居があるんですね。なので神社だと思ってました。。

池の水抜き55年ぶり改修 神泉苑の善女竜王社 京都新聞 2014年4月10日
というニュースがあったので、気になり調べだしたんですが。
その前にこのニュースの内容を少し。

京都市中京区の神泉苑(国史跡)にある空海ゆかりの善女竜王社で、
改修工事が進んでいる。
池に囲まれた島にあるため地盤沈下が進み、
築200年の本殿も老朽化していた。
地盤補強のため55年ぶりに池の水を抜き、
水底が現れる珍しい光景が広がっている。
…だそうです。

池の水の浸食や樹木の根が土壌を削ったりするそうで、
それによる地盤沈下だとか。
そもそも、こちらは地下水がわいている場所なので、
ポンプで排水しながらの作業になるそうです。

神泉苑 - Wikipediaによると、
延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、
当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑だったそうです。

※禁苑(きんえん):宮中の庭
 禁苑・禁園 とは - コトバンク

なので、私の記事にも実は何度か登場してますよね。
1つ目:洛中洛外図屏風(上杉本)と今の地図を見比べてみた
神泉苑さんらしき雰囲気の建物が堀川の横にありました。
※こちらに画像を載せるとちょっと大きいので、
 気になる方は上のリンク先でご確認ください。

洛中洛外図屏風 上杉本は
絵の内容から、景観年代は
室町幕府十三代将軍足利義輝が在職中の
永禄4年(1561年)から永禄8年(1565年)5月までの間と推定されてるとか。
その当時の神泉苑さんらしき建物が描かれているようです。


2つ目:京都の昔 実は川だらけだった!?富小路川、東洞院川、烏丸川、室町川…
京都には昔、川がたくさん流れていたんですよね。
平安京造営前はこんな感じ↓で神泉苑さんのところにも川が流れていたよう。

京都大学防災研究所年報 第47号 京都の水辺の歴史的変遷と都市防災に関する研究(PDFファイル)※リンク切れ


では、昔の神泉苑さんはどんな大きさだったんでしょう。
都市史04 神泉苑 京都市
によると、
当初の敷地は,北は二条大路,南は三条大路,
西は壬生大路,東は大宮大路に囲まれた東西二町(約250メートル),
南北四町(約500メートル),総面積約13万平方メートル。

かつて湖底だった地形の名残りが
そのまま苑池として造作された広大なものでした。
…だそうです。

リンク先に地図があったんですが、
分かりやすくグーグルマップに地図を描くと↓


グーグルマップより

二条通も三条通も、大宮通も現存してるんですが、壬生大路?
今の後院通りから始まる壬生川通り(みぶがわどおり)に当たるのかな??
と調べると、
みぶがわどおり【壬生川通り】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
北の後院通りから南の九条通りに至る。
全長約2.7キロ。平安京の壬生大路にあたる。壬生通り。
…ということでした。

さて、なぜ小さくなったかというと、神泉苑 - Wikipediaによれば、
1603年、徳川家康が二条城を造営した際には
神泉苑の敷地の大部分が城内に取り込まれて著しく規模を縮小した。
…だそうです。


今、神泉苑さんを見に行くと、水がない池を見れるかも!?


2010年4月6日 神泉苑さん / 私撮影


2010年4月6日 神泉苑さん / 私撮影
この時は桜の季節だったので、父の車いすを押して行ってきたんですよね。
外を歩くリハビリの後、神泉苑さんへ。 脳内出血の介護体験記
…この体験記は長いこと、書いてなくて(汗)。

おそらく今、見ごろかもしれませんね。
二条城は満開になっているので。
京都の桜情報 2014:京都新聞
タグ:京都
posted by ポジタリアン イエロー at 15:38| ブログ
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