以前書いた記事、
昔の神泉苑さんの「大きさ」と「55年ぶりの池の水抜き」と
というのがあるのですが、
そのときに使った地図が↓

グーグルマップより
二条城が歪んでますよね(笑)。東に少し傾いています。
二条城といえば、私にとっては高校生の頃、二条ラン(にじょらん)と言って、
体育の授業で周りを走った場所(1周約1.8q)なんですが、
気が付かなかった。
覚えてるのは、北東の角あたりが少し上り坂でしんどいことくらい?
でも、地図でははっきり歪んでいます。
その理由が
国土地理院地理地殻活動研究センターさんのTwitterにあったんです。
そのツイートが↓
地磁気の話(続き)二条城は周辺の地割りに比べ南北軸が約3度東に傾いています。その理由は平安京の造営時には北極星を目印に方位を決めていたのがこの城の建築では西洋人が持ち込んだ磁石を使った測量を行ったため方位にずれが生じたとする説が有力。 pic.twitter.com/OSVB4TFQHa
— 国土地理院地理地殻活動研究センター (@GSI_Research) 2014, 5月 19
地磁気の話(続き)二条城・南禅寺の話は、京都大学地磁気世界資料解析センター(WDC)のパンフレットにも書かれています。 http://t.co/ubcGXqPsve 地味な仕事ですが、地道な観測は続いています。
— 国土地理院地理地殻活動研究センター (@GSI_Research) 2014, 5月 21
で、そのパンフレットを見てみると…
江戸時代初期に建造された大規模建築には、
方向が地理的南北あるいは東西から明らかにずれているものがあります。
例えば、1603年に徳川家康が西日本の諸大名に築城させた
京都の二条城のお堀は地図を見ると明らかなように、
ほぼ正確に地理的真北を向いている堀川通りから東に約3度傾いています。
っこの原因として、
二条城の築城に際しては方位磁石(コンパス)を用いて
南北を決めたからであろうと言われています。
(「建築技師史の謎を解く」西和夫著1986年彰国社)
…だそうです。

京都大学地磁気世界資料解析センター(WDC)のパンフレット(PDFファイル)より
※クリックして頂くと拡大した画像が開きます
平安京造成時は北極星で方位を決めてたんですね。だから真北を向いている。
二条城のお堀はコンパスで決めたから、当時の磁北を向いているんですね。
真北(まきた)ってつい、読んじゃいますが、
この場合は「しんぽく」と読むそうです。磁北は「じほく」。
以前にもこの「真北と磁北」を書いていて、
地球磁場、ただいま減少中?
…東京で磁石の針が示す方向は現在北から7度西。
伊能忠敬が地図を作製した200年前はほぼ北。
約350年前に来朝したオランダ船の記録は約8度東と東から西へ
ずれてきたそうです。
いわゆる磁北(じほく:方位磁石による北)と真北(しんぽく:北極点の方向)
の違いですよね。
(参照)真北 - Wikipedia
って書いてましたね。
この時の解説にも、
気象庁 地磁気観測所 地磁気の基礎知識
からお話を書いていますが、磁北の移り変わりの図があるので、
国土地理院さんのツイートを借りると↓
地磁気の話(続き)【永年変化】偏角は時間(時代)によっても変化します。伊能忠敬が地図を作製した1800年頃はほぼ北でした。昔は東偏の時代もあったのです。 (地磁気観測所HPより) http://t.co/bUJIC2I6m4 pic.twitter.com/YE0g3X48dU
— 国土地理院地理地殻活動研究センター (@GSI_Research) 2014, 5月 19
なので、今の(2000年代)磁北は今度は西に7度傾いているんですね。
今もし京都にコンパスを使って建造物を作ったら、
もっとややこしいことになりそうですね。