2014年06月14日

マスコミをついつい信用してしまう、その理由や心理とは?


Evening watching television / flash.pro


マスコミの役割が、
今、特に怪しい状態に感じるので、考えてみることにしました。

以前、
2010年以降の報道の自由度ランキング(2010年〜2013年)にみる日本の状況
という記事を書きました。

国境なき記者団による報道の自由度ランキングの結果ですが、
2010年 11位
2011年 22位(満足できる状況)
(理由)津波や福島原発事故で報道が過度に制限され、
    報道の多様性の限界が露呈したため
2012年 53位(満足できる状況)
(理由)日本は東京電力福島第1原発事故に関する
    情報の透明性が欠けるなどとして
    昨年の22位から大幅に順位を下げ53位となりました。
2013年 59位(顕著な問題のある国)
(理由)東京電力福島第1原発事故の影響を取材しようとすると
    さまざまな圧力を受けるとされたほか、
    特定秘密保護法の成立が響いた。
…という状況をご紹介しましたね。

今年2014年になって、
NHK会長が公共性や中立性が疑われる発言をしたりして物議も醸しました。
2010年以降の報道の自由度ランキング(2010年〜2013年)にみる日本の状況


とはいえ、マスコミもNHKを除いて、民間企業。
なぜ、高い公共性が求められるんでしょうか。その理由を私なりに考えてみました。

その前に情報の性質について簡単に考えてみましょう。


意思決定の情報源として(受け手側)
辞書によれば情報とは、
ある物事の内容や事情についての知らせ。インフォメーション。
じょうほう【情報】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
…だそうです。

単純に考えれば、何らかの「お知らせ」なんですね。

ただ、情報は(他者への)お知らせと同時に、
人々の意思決定における源(情報源)にもなるんですね。
(参照)意思決定 - Wikipedia

それは噂や流言などの、いわゆる非公式の情報から、
政府や官公庁、マスコミ、当事者企業などが流す公式情報まで多種多様です。


情報の非対称性(発信側と受け手側)
人々の意思決定における情報源となる情報ですが、
情報の発信側と受け手側で、
その情報の元となる事象を知っているかどうかや、適時に公開するか否かで、
その背景を知って情報を流す側と、初めてその情報に触れる側
情報には非対称性が生まれます。
(参照)情報の非対称性 - Wikipedia

情報強者(情報優位者)とは、情報を最初に知る立場であり、それを公開する側。
政府・官僚・企業情報などがこれに当たります。

情報弱者(情報劣位者)とは、
情報強者が情報を適時・適切に公開しない限り、知る由がない側。
一般国民・一般投資家などがこれに当たります。

…情報には以上のような
・受け手からみれば「初めて知る(情報劣位者)意思決定のための情報源」であり、
・発信側からみれば「情報の元となる背景まで知る(情報優位者)、
 受け手が情報源とすることを知っていて公開する側」
…という性質があるんですね。


これだけでも、
公共性が必要となることは歴然としていますが、
∵多くの国民の意思決定に関与するマスコミなどの
 情報発信者は流す情報の取捨選択などが恣意的に出来るため
さらに偏った内容を一方的に流せば、いわゆるプロパガンダになってしまいます。
※プロパガンダとは、特定の思想によって個人や集団に影響を与え、
 その行動を意図した方向へ仕向けようとする宣伝活動の総称
 [三省堂辞書サイト]10分でわかる「プロパガンダ」

そのため高い中立性も必要になりますよね。


ここが一番のポイントであり、危険性をはらむので、伝えたいことですが、
次は知らず知らずのうちに、
マスコミが報じるニュースが漫然と信用されてしまう心理についてです。


マスコミを信用してしまう心理
…悪利用すれば、それはプロパガンダのための罠になるかもしれません。
 以下は、私が考えたマスコミを信用してしまう心理です。

1.初めて知ったことを正しいと思う
…ひよこは初めて見た動くものを母親と思って付いていきますね。
(参照)刷り込み - Wikipedia
 ヒトも同じ事象のニュースだったら、
 初めて見たほうをなんとなく正しいと思い込みやすい性質があるようです。
 知っていることなら、判断できますが、
 知らないことはまず最初に覚えようとします(赤ちゃんと一緒)。
 よほど疑ってかからないと、自然と正しいと思い込んでしまいがちです。

2.同じ人がずっとニュースを伝えることにより親近感が生まれる
…毎回、違う人がニュースを読むよりも、
 同じ人が毎日ニュースを読むほうが、
 いつの間にか、人柄を想像したりして親近感や信頼感が湧いてきます。
 その信頼は真実かどうかというよりも、毎日出会う親近感。

3.巨大な組織の場合、悪いことはしないだろうというイメージが生まれやすい
…巨大な組織の場合、組織立ってきちっとするだろう、
 様々なチェックが行き届きやすいだろうという勝手な推測が出来上がりやすい。
 逆に、個人や小さな組織の場合、
 細かなミスに気が付きにくい可能性があるのでは?
 と思いがちになります。

 一人でチェックした場合と、三人の目でチェックした場合では、
 当たり前ですが三人の方がミスを発見しやすいですね。
 小さな組織の場合、人数上チェック体制に不備が出来るかもしれませんが、
 大きな組織の場合、なんとなくきちっとチェック体制が出来てそうなイメージに。

 それらが勝手な推測で、現実には巨大企業でも
 (働く人にとっての)ブラック企業はありますよね。

4.ニュースばかりではなく、親近感が生まれるコーナーで、信頼感を醸成する
…たとえば、ニュースの中にスポーツニュースや気象情報などを入れて、
 その人が気になる情報を織り交ぜると、
 そのニュースに対する信頼性も高まります。

 なぜなら、その人の得意分野の内容が、
 例えば気象なら、気象情報が正しいと判断すれば、
 他のニュースも正しいだろうと推測してしまいがちになるためです。


さらに、よくあるのが、「これは…のためです」と理由を添えるニュース。

たとえある分野の専門家で、
専門分野の報道が一方に有利に偏ったものと知っていても、
本来は両論併記すべきですが、誤りとまでは言えなかったりします。
また、専門分野外では、上述の理由から、なんとなく信用してしまったりもします。


このように、
こうして生まれた信頼感は、本来、ニュース自体の真実性とは無関係ですが、
長年培われた信頼感によって
個々のニュース自体も信用されてしまうんですね。


だからこそ、高い公共性や中立性が求められるんですね。

マスメディア - Wikipediaには、
高い公共性が要求される。
マスメディア業界(特に大手新聞社・テレビ局)は
多くの国民に迅速かつ正確な情報を伝える性格を持つからである。
また、多様な立場の意見表明の場としての機能がある。

報道 - Wikipediaでは、
報道は表現の自由に基づく、報道の自由や知る権利に支えられている。
反面、報道は客観報道の原則を守らなければならないとされる。

報道関係者が「真実を伝える」と発言することがあるが、これは原理的に誤りである。
送り手側がどのような判断を行っているかを情報の受け手側は知りえない以上、
この時点で原理的に報道の中立公正さが崩れているからである。
「報道は、事実をありのままに伝えること(事実を曲げないこと)」
と言われるのは、この為である。
…とありました。


では、客観報道とはなんでしょうか。
どういう報道をすれば、善管注意義務を免責されるんでしょうか。
※善管注意義務(ぜんかんちゅういぎむ)
 通常期待される社会人・企業人としての注意義務

客観報道とは、「事実をありのまま伝えること」ですが、
それは、きちっと取材をして、ということが前提になると思うんですが、
実際、ヒトである以上、どこかに主観が入ってしまうこともありますよね。

もし、主観が入ってなかったとしても、
その報道を快く思わない逆の立場のヒトからすると、
いわゆる偏向報道と言われることもあるのかもしれません。


そういう社会的風潮のなかで、客観報道はどうやって担保されるんでしょうか。

おそらくは情報の出どころである官公庁や企業の報道発表通りにニュースを作れば、
事実をありのままつたえたことになり、
善管注意義務違反とはならないと考えることが出来ます。


しかしながら、元の情報の出所(とくに官公庁)で事実を捻じ曲げれば、
たとえマスコミがその事実に気が付いていても、
捻じ曲げられた事実をそのまま発表すれば善管注意義務違反とはならないため、
そのまま流してしまいますよね。

そうなると、多数の情報が官公庁が出したニュースで溢れ、
それが真実と受け止められるようになる。


本来、高い公共性や中立性が求められ、
広く国民が意思決定の情報源として利用するにもかかわらず、
責任を負いたくないがために、
官公庁や企業の報道発表通りにニュースを作るようになります。


官公庁や企業(情報強者)恣意的に情報を取捨選択

マスコミ:その事実を知っていても、そのまま流せば免責される

国民(情報弱者)知らず知らずに信じ込んでしまう


この流れを断ち切るために、
必要なのが情報公開ですが、あまり機能してるようには思えません。

官公庁のHPで、何かを調べようとしても、なかなか見つけられない、
見つけてもPDFファイルで文章もわかりにくい、
マスコミの報道は、企業によっては1週間レベルで記事が削除される。

これらについて、
感じたことがある方は多いのではないでしょうか。


情報の検証可能性が担保されてこそ、
フィードバックや反省が成り立つわけですが、
残念ながら、
日本にはそういう検証可能性を高めて、未来へつなぐ意思が欠けているように思います。

特に原発問題は、本質的に早く解決されなければいけない問題ですが、
責任の所在をわかりにくくして仲間内を助け合うやり口で、
公式情報が一方的に流れる仕組みを利用し、
うやむやのまま推進へと舵を切ったように思います。

「マスコミを信用してしまう心理」というのを書きましたが、
これはマスコミ自体がそもそも意図したものか否かにかかわらず、
結果的には、国民心理を利用した信頼感を盾に、プロパガンダ報道をしている
側面は、否めないように思います。

この仕組みが変わらない以上、
反原発デモをやってもあまり報道されないでしょうし、
一人一人が書く反原発の記事もあまり人目に触れず(とくに中立的なヒトに対して)、
公式情報に多くの国民が流されていく状況は変わらない気がします。


また、残念ながら私にはどうすればいいのかはわかりません。
ただ、まずは社会の在り方を分析し、ひとつひとつ問題点を認識して、
効果的な方法を模索する以外にないのですが、
今後も、思いついたことは書いていこうと思っています。


Televisión / clasesdeperiodismo

タグ:心理 コラム
posted by ポジタリアン イエロー at 17:23| ブログ
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